クソコード を作るのは誰が悪いのか

クソコードとは、プログラムにおいて造りの悪いコードのことである。

悪い部分は処理フローやセキュリティ、ソースの名前など多岐に渡る。

 

ふと、これらを作成された時何を忌み嫌うべきかを考えた。

 

別に作成した本人だけの責任ではないだろう…と。

納期が短すぎる

クソコード が作られる大半の原因がこれだと思う。

作るので精一杯でソースコードを見る時間がない。

レビューも動くのであれば、造りが悪くても直すことができない。

そんな時間はないからだ。

 

ただ、クソコード を生み出すのは仕方なくても

責任が0な訳ではないだろう。

あくまでも作ったことに変わりはない。

また、クソコード ははっきり言って効率を下げる。

 

せめてコメントなどで補足や説明をしてほしい。

作業遅延で見直す時間がない

これに関してはマネジメントの問題もある。

一概に本人のせいだけではないだろう。

他の作業に時間を取られて作業ができないのなら仕方ないと思う。

 

仮に、自分の責任で作業遅延したとしても悪いのは自分だけではない。

そういうスケジュールをさせた人、対策を考えなかった人間にも責はある。

 

それでも前述したのと同様、せめてコメントくらいは残して欲しい。

時間があるのにソースコードを見直さない

これは2つのパターンに分かれる。

ソースコードを見直す意義を知らない人とやる気のない人の2つに分かれるのだ。

この場合、前者であれば本人に教えてあげるべきだ。

ソースコードは作って終わりではなく、他人に見られるものだと。

だから見やすく、分かりやすく作っておく必要があると。

ソースコードを見直す気のないやつってなんだ

問題は後者だ。

こればっかりは本人の責任だ。

ソースコードは見られる方が多いと知っていて、そうしてるならタチが悪い。

 

できる対策としたら、クソコード を作ると困る機能を任せないことくらいだ。

え?そんなのないって?

そうなると徹底的なレビューをして無理矢理直させるしかないだろうなぁ…

 

知識がない

知らないだけなので、本人の責任だけではない。

教えれば良いだけのことだ。

 

ただ、これが続くようなら少し疑った方がいい。

知識を得ようとする気がない可能性がある。

そういうのは、仕事を一緒にやっていれば自ずと分かる。

 

少なくとも知ろうとする気がない奴には、仕事でもない限り教えないと思う。

 

そもそもやる気がない

論外である。

要は全体のやる気がない人である。

 

これは人格否定が入っても、文句は言えないと思う。

私が同じ状況なら、そのやる気のなさを問うと思う。

 

結論

クソコードに対して忌み嫌うべきは状況による。

スケジュールがクソなら、スケジュールに対して怒るべきだ。

ソースコードの重要性を知らないのならば、それを教えていない人間の責任もある。

そうなると喧嘩両成敗で、 どちらも悪い。

作成者のやる気が著しく低いならば、作成者の責任が大きい。

忌み嫌うとすれば作成者だが、対策をしないのはまずい。

対策を考えよう。

 

どちらにせよ、プロジェクトの面々でクソコード を作らない対策は立てる必要がある。

どんな事情があれ、見る人にとっては苦痛だ。

あまり苦痛のないコードを作るように努力したいところだ。